2018/09/25

総合医にとっての「メジャーリーグ」である離島へき地で戦えるイチローを育てる!〜救急医の仕事からへき地で戦う医師を育てるプログラムを立ち上げるまで〜

 

この記事を書いている人 - WRITER -
藤井 達也(ふじい たつや)
    ■■Antaa CommunityManager/医療法人社団翠明会山王病院 整形外科/整形外科専門医/日本医師会認定産業医/関東若手医師フェデレーションSV
    ■■"つながる力で医療を支える"をvisionに活動するアンターで、医師同士のつながりをデザインする仕事をしています。整形外科医としては外来、病棟、手術の中でも特に外来での診断にこだわっています(エコーも修行中)。
    ■■Antaaで一緒に活動してくれる医師医学生募集しています! fujiiあっとまーくantaa.jpまで連絡を!

 地元千葉から始まった齋藤 学先生の「なんでも診れる医師」への道はメジャーリーグである離島へき地で戦える医師になる道に変わっていきます。齋藤先生がどのように自分の道を選択してきたのでしょうか、人生のターニングポイントはどこだったのでしょうか。

この記事では、2018年9月8日(土)にデジタルハリウッド大学大学院で開催の第6回 United Medical Leaders Tokyoのゲストである斎藤 学先生の講演内容をご紹介します!

ゲネプロ代表
救急医 

齋藤 学 先生

総合医にとっての「メジャーリーグ」である離島へき地で戦えるイチローを育てる!〜救急医の仕事からへき地で戦う医師を育てるプログラムを立ち上げるまで〜

なんと小学生の時の新聞掲載から開始!

キャリアとは

  • 自分の目標の設定
  • その時点で最善と思える選択をすること
  • 最善と思える選択ができる自由を持つこと
  • 選択した場所で思いっきり頑張れる適応力を持つこと

この話から始まった齋藤先生のお話の中でとっても重要な4人の人物が出てきます。

人生の岐路にいる4人のDr
井上 徹英先生
瀬戸上 健二郎先生
岩野 歩先生
Ewen先生
この4人との出会いにそってライフストーリーが語られていきます。

井上 徹英先生

斎藤先生が医師3年目の時、旭中央病院から浦添総合病院へ行くことを決意させた先生です。
当時スマホはありません。雑誌社にラブレターを送ったことがきっかけでした。

浦添に行ったのち
病院の屋上で井上先生にこう言われます。

「齋藤くん、一緒に沖縄の空を支配しないか?」
「この島中の患者さんをヘリで本当に連れてくるんだ」

と。

「人を殺すヘリが飛べて、人を助けるヘリが飛べないとは何事だ!」

と住民に拡声器を持って訴えていたのが印象的だったと齋藤先生は語ります。

そしてU-PITS(Urasoe-Patient-Immidiate-Transport-System)を開始!
ただ、当時齋藤先生は、はたけのど真ん中で気管挿管して、自分でヘリを呼ぶ同学年の医師をリスペクトしていました。

瀬戸上 健二郎先生


Dr. コトーのモデルとなった先生です。
救急最前線で働いていた斎藤先生にとって衝撃的なエピソードがあります。

それは徳之島での若い女性の甲状腺のしこりの診療の時のこと

齋藤先生はしっかり触診し、エコーでチェックも行い、さらに丁寧に説明し、鹿児島市内に紹介しようとしていました。
その時、待合室で島民と談笑していた瀬戸上先生が「プンクプンク」と言って入ってきました。

「どれどれ、ちょっと中を見てみようか?」
「これは血液だから心配要らんわ」
「プレパラートにその血液をなすりつけて、お昼の船で送って」

「水曜日には結果が出るから、その時に来なさい」

「はいわかりました」

実力の違いを痛感します。
患者を送るか、ガラス板一枚を送るか。大きな違いです。

離島での診療
救急のキャリアでは全く歯がたたなかったと斎藤先生は言います。

岩野 歩先生


離島で歯が立たなかったという齋藤先生、もう一度井上先生のもとで修行しますが、
ここで人生の転換点が訪れます。

それは在宅の世界に触れたことです。

岩野先生は浦添の救急を一緒に立ち上げ、当時井上先生の右腕だった凄腕救急医。
訪問診療で訪れたのはアルコール依存症の患者の家です。
汚物で汚れた家にはブルーシートがしかれています。

あの岩野先生がブルーシートの上にひざまづき、手背に点滴をします。

「痛っ、へたくそ!」

アル中の患者さんに怒られている岩野先生をみて、「ビビりました」と斎藤先生。
すごい医療があるんだ、と。

患者にとってはホームグラウンド、医者にとっては完全のアウェイ。こんな医療があるんだ。と。

その後岩野先生のクリニックで働くことになります。

岩野先生の口癖は、「津波が来ても逃げない」でした。
宗像の患者さんは幸せだな
そう思っていました。

だけど17キロ目の患者さんはどうなるのだろうか?

これが常に斎藤先生の疑問でした。

そして岩野先生の行う”在宅”のカバーしきれない17キロ目の患者さんを救うためゲネプロ立ち上げに動き出します。

Ewen先生

様々な人のアドバイスで世界僻地医療学会に参加した斎藤先生。
学会でオーストラリアの先生方に話しかけ、食事会に誘ってもらいます。
その食事会で酔いも回ったころ、

目の前にいた座っていた先生から

「ところでお前は何がしたいんだ?」

と、問われました。
一気に酔いがさめ、しどろもどろになりながら、やりたいことを話しました。

すると、

「だったら、俺のクリニックに見にこないか?」

とのお誘いを受けます。

それがEwen先生です。
翌月オーストラリアはエメラルドに出向き、ディナーの席では多くの先生に齋藤先生のやりたいことをプレゼンし、話をききました。

すると翌日の新聞はこれです。


粋ですね!

この後も多くの人々に支えられながらゲネプロをスタート。
オーストラリア僻地、南極、モンゴル等様々な僻地医療の形を経験します。

出会ったモンゴルの研修医のように
「将来地元に還元したい」

だからこそゲネプロのネーミングは最終リハーサル。
本番は地元なんです!と語気に力が入ります。

そんな時
瀬戸上先生が、階段から落ちて、2週間急遽入院することになり
そのピンチを齋藤先生が救います。

「災害だと、もう十分!というくらい医者がくるのに、離島の医者がひとりたとれても誰一人来ない。」

この時ゲネプロの目指すものが確立します。

齋藤先生からのメッセージ「医者として一番嬉しいこと」

最後に、瀬戸上健二郎先生の言葉で締めくくった斎藤先生。
赤ひげ大賞を受賞した時に、帝国ホテルでスピーチした言葉を引用

「医者として一番嬉しいのは、医者としての技術があがることです。それが結果として地域住民のためになれば、こんなにうれしいことはありません」

年次に関係なく、自分の成長こそが医師の喜びだと思い続けられることの大切さについて語り、会場の熱量は最高潮でした。

デジタルハリウッド大学大学院のお知らせ
同会場にて  11/13 デジタルヘルスアワード が開催されます。
デジタルヘルスアワードって何?と思った方はタップしてみてください。
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藤井 達也(ふじい たつや)
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